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2010年05月16日

横浜グラフィティ 1

「青い瞳のステラ 1962年夏」
前のブログで書きました、東京から30分のリゾート、横浜。100回以上は訪れていますが、何度行ってもこの街の空気を吸うとなぜか落ち着きます。
夢はアルバーノ横浜元町店を出し、山手にボロくても別荘を持つことです。
この街に憧れて30年以上たちますが、みなとみらいの再開発で町並みも急速に変わりました。しかし、今でも語り継がれる伝説が、この街には沢山あります。
開国の街であり、食・ファッション・音楽・建築・スポーツ等いろんな文化が、60年代から東京に先駆けて発信されていた事は間違いありません。
異国情緒あふれる横浜の魅力、穴場、エピソードをきときとの富山っ子の僕が、ハマっこを気取ってざっくばらんに語りたいと思います。
僕と横浜との最初の出会いは、やはり音楽です。「ブルーライトヨコハマ」、「港のヨーコヨコハマヨコスカ」、「よこはまたそがれ」も好きですが、ロック少年の僕が柳ジョージと出会ってからです。彼の曲「青い瞳のステラ1962年夏」。
故郷テネシーを夢見て死んだアメリカ人娼婦が外人墓地に眠っている。という曲なんですが、名曲です。ちなみに僕のカラオケの十八番です。下手ですけど…。
外人墓地?元町から石畳の急坂を登る右側がフェンスになっていて、その中が外人墓地になっています。息を切らして登りきると、高台から海とマリンタワーを背景に外人墓地が一望できます。初めて見た時、時が止まったような静寂と落ち着きを感じました。
どんな異人さんがここに眠っているのだろう。手を合わせ「青い瞳のステラ」を心の中で口ずさみました。
柳ジョージの自伝を読み、60年代当時のYOKOHAMAの原風景。
米軍キャンプ、アメ車、ロック、不良、若者文化の憧れの最先端が本牧という場所から発信されていた事を知りました。
それから10年以上たっていますが、高校生の僕の想像は膨らんでいきました。
To be continued…

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